情報発信しないなんてもったいない

久しぶりの投稿です。

 

前回の記事を見てみると半年前に工場で働き始めた時の話ですね。

 

あれから6ヶ月。

今は年休を使って2週間の休暇を楽しんでいます。

 

 

こちらのブログはほぼ存在自体忘れていたのですが、いますぐに書きたいことがあって

投稿することにしました。

 

 

今回お話ししたいのは、情報発信の必要性について。

 

 

経緯

最近、ポッドキャストをよく聞いています。

 

目当ては歴史について語っているコテンラジオという番組。

 

正式名称は『歴史を面白く学ぶコテンラジオ』です。

 

 

これがめちゃめちゃ面白くてApple Podcastランキング1位を取っています。

 

 

ここでは様々なテーマの歴史を扱っているのですが、ある程度歴史の全体像を学んだ結果、強烈に思うことがあります。

 

 

それは、今の時代に情報発信をしないのはもったいないということ。

 

情報発信した方がいい理由

 

1.個人の意見が許される時代になった

 

人類の歴史上、現代ほど自由に個人の意見を言える時代はありませんでした。

 

かつては個人が自由な意見を言うなど思いもよらず、そんなことをすれば何らかの社会的な制裁を受けるということもあったわけです。

 

しかし今では、誰もが自由に自分の意見を述べることができます。

 

また、インターネットというコミュニケーションツールの革命によって「伝える」ことが可能になったのです。

 

2.生きた証になる

 

また、アウトプットすることがまさに存在の証明になるということが挙げられます。

 

どういうことかというと誰の目にも止まらなければ、果たして存在していると言えるのかという哲学的な問いです。

 

僕たちは家庭や職場、その他のコミュニティで誰かと関わっています。

その人たちにとっては自分は確かに「存在」している。

 

しかし、それ以外の圧倒的多数の知らない人たちにとって僕たちは存在していないも同然なのです。

 

極端に言えば誰の目にも止まらず、認知されない人は生きていないのと同じことになるのです。

 

「アウトプット」というのは、誰かに認知されることだと思います。

 

仕事をすること。芸術作品を世に出すこと。話すこと。書くこと。人前に出ること。

 

これら全ては、誰かに自分の存在を知ってもらい自分はこういう人間だと伝えるために行うことだと言えます。

 

この中で最も多くの情報を伝えられる媒体がテキストです。

 

3.自分の思考を整理できる

「アウトプット」が他人に認知されることだとすれば、「インプット」は自分が認知することだと言えます。

 

今は情報発信全盛の時代ですので普通に生きているだけでたくさんの情報に晒されます。

 

自分から探しに行った情報もあれば、向こうから勝手にやってきた情報もあるでしょう。

 

これらのうち記憶に残っているものが自分を形成しているわけですが、このままではただ混沌としたものがあるだけです。

 

ここからアウトプットするためには言語化しなければなりません。

この言語化という過程で、自分にとって大事なものを抽出する作業が必要になります。

 

何が大事で何がそうでないかを決めるのが価値観です。

 

現代社会はこの価値観が多様です。

 

ここで多くの人が直面するのが、自分の価値観が分からないということではないでしょうか。

 

この価値観を探ることは、つまり自分がどういう人間かを改めて見つめ直すきっかけになります。

 

言語化することは、自分自身を知ることにもつながるのです。